横道に逸れて話は遡りますが、大正7年(1918)福島に競馬場が開設した記念すべき年に、競馬場内に二等食堂として出展、営業している歴史的記事が、昭和53年9月6日JRA福島競馬場発行の“人馬一体 福島競馬六十周年”の91頁に、当時の時代を彷彿させる様に面白おかしく記載されています。
その後、昭和の初期に宮町に移転しました。場所は現在の福島最上ホールのある、北裡商店の東西通りに面した、稲荷神社の東隣の奥行きの長い地の利を生かして、庭付きの料亭を営業いたしました。
昭和十年代後半より、日本は戦時体制を敷き、やがて日米戦争に突入する羽目になり、料理業は勿論閉店の憂き目に遭うことになります。
昭和20年の終戦を経て、23年(1948)、現在地仲間町にて営業を再開しました。
父・正文、母・延子夫婦は、33年に御神楽式、二階に“大広間”を建て増ししました。
当時福島は、黒部ダム建設という国家的大事業の恩恵で、空前の好景気に沸き、官民の顧客様で大変繁盛したと聴いております。
福島稲荷神社の拝殿前にまします一対の狛犬の台座の石には、当時の北裡花街の多くの店名、芸妓名が、いまでも刻まれていて、街の繁栄が偲ばれます。
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